彼らは急いでいるから、サッとポケットの物をひきぬくと改めもせず掻き消えたが、怪漢の一人はチリ紙をぬきとり、一人は鎌倉文庫手帖というものをぬきとったにすぎないのである。こういう教訓を書き加えるのは、芸術家として切ないのだが、手際がよすぎるということもいけないのである。
 私がマーケットに於て被害をうけたのは、以上だけで、常連としては極めて微々たる被害だが、一人で飲むということが殆どなかったせいかも知れない。
 どこのマーケットでもアンチャンあるところ身の安全は期しがたいが、特に新宿のマーケットはカストリ組の危険地帯随一と目されている。
 しかし、新宿は戦争前にも、東京随一のアンチャン地帯であり、酔ッ払いの危険地帯であった。
 私が中学生のころは浅草がひどかったが、震災後、親分連が自粛して、浅草の浄化運動というようなものを自発的に、又、警察と協力的にやりだしたので、私が東京の盛り場をノンダクレてまわる頃には、浅草は安全な飲み場の一つであった。
 いつまでもアンチャン連が生息横行していた盛り場は、新宿が筆頭で、私もずいぶん、やられたものだ。当時、ここでひとりで深夜まで飲むことが多かったからだ
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