ているのに、そういうところには目もくれず、交番の巡査のところへ話しこみにくる。交番にもたれてタバコをくわえて、ニヤニヤと、ねえ君ィ、などと三十分もうごかない。アッパレな酔っ払いがいるものだ。なるほど交番へ遊びにくるのが一番安全には相違ない。
 酔っ払いの無銭飲食を引ッたててきた酒場のマダムもその傾きがあるが、交番へ人を引ッたててくる人の中には、引ったててくる人物の方がいかがわしい場合が少くないから面白い。交番をめぐる神経、心理というものは微妙にこんがらがったもので、悪党に限って、人を交番へ引ったてたくなるのかも知れん。
 二人のアロハのアンチャン、もっともアロハをきているわけではない、リュウとしたニュウルックのダブル、赤ネクタイの二人づれ。酔っ払った労働者をひッたてて交番へのりこんだ。終電に近いころだ。
「切符を買おうとしていたら、こいつがね、酔っ払ってよろけるフリして、ポケットへ手をつッこみやがってね。ほれ、ここにこれが見えるからね。ふてえスリだ」
 腰のポケットに何やら買物包みらしいものがのぞけてみえるが、酔っ払ってヒョロ/\と足もとも定まらないようなスリがあるものか。酔っ払いは怒って、
「なに云ってやんでい。よろけて、さわったら、インネンつけやがって」
「なに!」
 アロハのアンチャン、交番の中でサッと上衣をぬごうとする。
「ヘエ、ヘエ、すみません」
 酔っ払いはわざとペコリとオジギして、呂律のまわらぬ舌で、昔どこかで覚えたらしい仁儀のマネゴトをきった。
「スリの現行犯だから、ブチこんどくれ」
 とアンチャン連、凄い目をギロリとむいて、終電に心せかれるのか、さッさと行ってしまった。酔っ払いがすぐ釈放されたのは言うまでもない。
 なんのために交番へひッたててきたのか、このへんのところはマカ不思議で、わけが分らない。アンチャン方も、何が何やら無意識に、ただもうアロハ的本能で行動していらッしゃるのかも知れない。サッと上衣をぬぎかけたり、サッと逃げたり、アロハ本能というもので、相手が一文にもならなかったり、その場に限って自分に弱味がなかったりすると、相手を交番にひッたてたくなるというアロハ本能があるのかも知れない。
 交番へ借金にきた変り種もあった。
 さしだした名刺をみると、京橋の何々会社の取締役社長とある。なるほど、しかるべきミナリ、四十ぐらいの苦味走った伊達男である。
 この先生はいくらかのアルコールがまわって心浮き浮きしているらしいが、言葉も足腰もシッカリして、酔態は見られない。この先生の出現は、時に深夜一時、終電もなくなり、さすがの新宿駅前も、まさに人影がとだえようとしている時刻だ。
「実はね。私は新宿ははじめてなんです。かねて聞き及ぶ新宿で飲んでみようと思いましてね。そんなワケで、この土地にナジミの飲み屋がないでしょう。お勘定が千円なんですが、私は現金は八百円しか持ち合せがない。しかし今日集金した三万円の小切手があるから、これでツリをくれと云ったら、ツリはやれん、小切手はこまる、現金でなくちゃいかんと云うんです。冗談じゃない。この小切手は横線じゃない、銀行さえ開いてりゃ、誰がいつでも現金に換えられる小切手でさアね。ほら、ごらんなさい」
 男は三万円の小切手をとりだしてみせた。私は小切手のことは皆目知らないが、不渡りかどうか、交番で鑑定のつく品物ではなさそうだ。しかし伊達男は苦味走った笑みをたたえて悠々たるもの。
「小切手じゃアどうしてもいけないてんだから弱りましたよ。持ち合せが八百円しかないんだから、二百円貸しとけ、と言ったら、それもいけない。ナジミじゃないんだから、耳をそろえて千円払えてんですよ」
「それはなんて店ですか」
「さア、なんてんだか」
 男は口ごもっている。巡査はフシギがって、
「今ごろ、まだ営業してるんですか。なんて店ですか。店の者をつれてらッしゃい」
「それがねえ、じゃア交番へ行って話をつけようと云ったら、交番はいけない、とこう云うんです。あんた一人で行ってこい、とこう云うんですよ。交番はイヤだてえんですよ。どうも仕様がありませんや」
「何か品物を置いてッたら」
「ハア。品物をおくんですか」
「品物はおいてないのですね」
「ええ、おいてやしません」
 男はビックリしている。新宿の性格を知らないらしい。
 男はやがてポケットから百円札八枚とりだした。
「ホラね。ここに八百円、私の持ち合せ全部ですよ。すみませんが、二百円かして下さいな」
 妙な話になってきた。全然ツジツマが合わんじゃないか。
 小切手は信用できんという。ナジミじゃないから、二百円貸すわけにはいかん。たった二百円まけてもくれず、貸してもくれないほど信用しとらん客を、品物どころか、八百円も小切手も預らずに、お供をつけずに外へ出すとはおかしい
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