みたのである。ほかに何もしないで、先ず敷居に手をかけて押してみた。驚くべし。敷居は自在にグラグラうごき、その都度二十度も傾いたのである。
私ときては、敷居は動かないものときめて、手で押して調べてみることなどは念頭になかった。そのイワレは、キティ颱風を無事通過した窓が満月の突風ぐらいでヒックリ返る筈がないということだ。私はテンから泥棒ときめこんで、先ず足跡をしらべ、どこにも足跡がないので、ハテ、風かな、と一抹の疑念をいだいたような、まことに空想的な推理を弄んでいたのである。
要するに、これも税務署の寒波によるせいかも知れない。推理小説の名探偵も、心眼が曇ったのである。伊東という平和な市には、深夜にうろつくのはアベックばかりだ。その勢力は冬でも衰えが見えない。こうアベックがうろついては、泥棒もうろつけないに相違ない。そして私の住居こそはほぼ頼朝密通の地点そのものに外ならぬのである。
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伊東を中心に、熱海、湯河原、箱根などの一級旅館を荒していた泥棒がつかまった。俗に、枕さがし、とか、カンタン師とか云って、温泉旅館では最も有りふれた犯罪だ。しかし、一人の仕事としては被害が大きい。伊東だけでも、去年の暮から四十件、各地を合せると三百万円ぐらい稼いでいた。前科七犯の小男で、ナデ肩の優男《やさおとこ》だという。
この犯人は極めて巧妙に刑事の盲点をついていた。
彼は芸者とつれこみで旅館に泊る。あるいは、芸者をよんで、泊める。ちょッと散歩してくると、芸者を部屋にのこして、ドテラのままフラリとでる。そして、たてこんでいる一級旅館へお客のフリをしてあがりこんで、仕事をするのである。自分の泊っている旅館では決してやらない。ここが、この男の頭のよいところだ。
旅客のフリをして廊下かなんか歩いていて、浴客の留守の部屋へあがりこんで、金品を盗みとって、素知らぬフリをして戻ってくるのである。
自分の部屋には芸者が待たしてあるから、いわばアリバイがあるようなもので、さすがの探偵たちも、この男が犯人だということは、他のキッカケがなければ、なお相当期間発見されなかったろう。
伊東の暖香園へ泊った浜本浩氏もカバンをやられた。その同じとき、伊東在住の文士のところへ税額を報らせに来た文芸家協会の計理士某氏が伊東市中を自動車でグルグル乗りまわしていて、第一級の容疑者として睨まれたそうだ。してみると、私も陰ながらツナガリがあったのである。私はそのとき、前回の巷談のために、小田原競輪へ泊りがけで調査にでむいていて、留守であった。
この男がつかまったのは、いつもの奥の手をちょッと出し惜んだせいだったそうだ。ドテラの温泉客のフリを忘れて、洋服のまま、伊東温泉の地下鉄寮というところへ忍びこんだ。見破られて逃走したが、襟クビをつかまれ、上衣を脱ぎすててのがれたが、洋服のポケットに自分の写真を入れていたのが運の尽き、指名手配となったのである。
伊東暑の刑事は情報を追うて長岡、修善寺と飛んだが、逃げるとき連れて行った伊東の芸者のことから、湯河原の天野屋旅館にいることが分った。時に三月三日、桃の節句の真夜中で、五名の刑事は一夜腕を撫し、四日の一番列車で伊東を出発して、湯河原の目ざす旅館へついたのが六時半、寝こみを襲って、つかまえたという。
そのとき、この男は革のカバンに、十一万三千円の現金と、外国製時計七個(うち四個金側)、ダイヤ指輪二ツ、写真機、万年筆四本、等をもっていた。私の全財産よりも、だいぶ多い。万年筆まで、文筆業の私よりもタクサン持っていたのである。ほかに雨戸や錠前をこじあけるためのペンチその他七ツ道具一式持っていたが、七ツ道具を使って夜陰に忍びこむのは女をつれていない時で、機にのぞみ、変に応じて、手口を使い分けていたが、結局七ツ道具の有りふれた方法などを弄んだために失敗するに至ったのである。
思うに、この先生は、ほかの泥棒のように、セッパつまった稼ぎ方はしていなかったのである。主として芸者をつれて豪遊し、そうすることによって容疑をまぬがれ、当分の遊興費には事欠かないが、ちょッとまア、食後の運動に、趣味を行う、という程度の余裕綽々たるものであった。天職を行うには、常にこれぐらいの余裕が必要なものである。セッパつまって徹夜の原稿を書いている私などとは雲泥の差があるようだ。
説教強盗などのように、強盗強姦などゝ刃物三昧や猫ナデ声のミミッチイ悪どさもないし、世帯やつれしたところもない。芸者をつれて豪遊し、それがアリバイを構成し、食後の運動、又、時にはコソ泥式の忍び込みもするところなども通算して一つの風流をなしている。惚れ惚れする武者ぶりだ。どこかバルザックの武者ぶりに似ている。大芸術というものは、これぐらいの武者ブリと綽々たる余裕がな
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