けらない限り、お金には困らない。
 選手は概ね単純な若者である。概して教育の程度は低いが、個人競技で、勝敗がハッキリし、油断すると負けるから、必然的に摂生を考えざるを得ず、その競争意識によって、おのずと品性も高まりつつあると見てよい。一部に伝えられる選手の腐敗ぶりは、極めて特殊な現象で、一般に名誉心にもえた単純な若者たちが多いようである。彼らは朝晩ごとは猛練習する。予想屋はそれを見て予想を立てるのである。
 あの選手はゆうべ夜遊びをしたとか、風邪ぎみだとか、情報がはいる。こういうコマカナ情報が分りすぎると、予想は当らなくなる一方だそうである。
 選手がトラックに現れて一周し、車券の発売が〆めきられるまで、ガラス張りの小部屋の中に、番号順に腰かけて、毛布で足をくるんで休息しているが、レース開始直前になると、必ず便所へ立つのが二三人いる。試合になれない初心のころは、試合開始に先立ってしきりに尿意を催すものだから、この連中は勝てないぞ、と私は思う。いよいよスタートラインにつく。一同パッと毛布を払いのけて立ち上るが、中に一人、テイネイに毛布をたたんでいる礼儀正しいのがいる。これは見どころがあるナ、と私は考える。プログラムをとりだして、選手番号でしらべてみると、私は小便組を買っているが、毛布の選手を買っていないのである。シマッタと思う。
 ところが、レースがはじまってみると、案外なもので、小便が勝って、毛布はビリである。しかし最後に一挙抜くのだろうと見ていたが、いつまでたってもビリであった。この時ほど、競輪の悲哀を身にしみたことはなかった。

          ★

 三日間の戦跡を回顧すると、私が二日目に三千円の損失でくいとめたのは奇蹟であったということが分るのである。
 私は第一日目には、競輪といえばインチキ、八百長と見くびって、もっぱら大穴を狙い、本命や対抗を頭にした券を一度も買わなかった。そして、全部失敗したのである。
 結局十二レースのうち、十一レースまでは、本命か対抗がたいがい頭にはいって、これは先ず外れることが少い。
 当らないのは二着なのである。
 そこで二日目は本命、対抗、もしくは穴と思われる有望なのを頭において、二着を一から六まで全部買ってみることにした。つまり、本命が二番、対抗が五番、穴が六番、

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