を誇って世界三大強国などゝ言っていたが、その生活水準の低さというものは論外で、フィリッピン以上のものではなかった。
 これは驚くべき事実であるが、日本の歴代の内閣が、国民の生活水準を高める、ということを政策にかかげたことがない。ヒットラーでも、労働者に鉄筋コンクリートの住宅を、自動車を、と約束したが、日本の為政家は耐乏、勤倹、質実剛健、を説教することをもって国民への任務と考えていたようである。
 食うものも食わずに戦備をととのえて、目的がどこにあるのか見当もつかないけれども、こういう指導理念の混乱は、日本共産党にもある。正しいプロレタリヤであるには、貧乏な生活をしなければならぬ。一昔前のプロレタリヤ理念は明確にそうであり、貧乏を誇りにさえしていた。生活水準を高めるよりも、低めるために努力しているようでさえあった。そして高度の娯楽はブルジョア的であるとし、工場や農村の窮乏や、娯楽も文化もない方向へ、人々をひきむけることを目的としていたようであった。
 これは今日では払拭されたようであるが、洗煉されたものよりも粗野の方へ、デリケートなものよりも無神経の方へ生活形態の方向を推し進めようとして
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