今のうちなら右翼ファッショの再興を、彼個人の意志によって防ぎうるのだ。彼がよりつつましく人間になりきることによって。それを為しとげる気配もないから、彼は明かに聡明ではない。むしろ側近の計るがままに、かかる危険を助成している有様であるから、なさけない。忠勇な国民を多く殺して、自分のからだが張りさける思いである、という、あの文章は人が作ってくれたものであるにしても、あれを読み、あれを叫んだ時の彼の涙は、彼の本心であり、善意そのものであったはずだ。彼はすでに、それを忘れたのであろうか。
 私は祖国を愛していた。だから、祖国の敗戦を見るのは切なかったが、しかし、祖国が敗れずに軍部の勢威がつづき、国民儀礼や八紘一宇に縛られては、これ又、やりきれるものではない。私はこの戦争の最後の戦場で、たぶん死ぬだろうと覚悟をきめていたから、諦めのよい弥次馬であり、徹底的な戦争見物人にすぎなかったが、正直なところ、日本が負けて軍人と、国民儀礼と、八紘一宇が消えてなくなる方が、拙者の死んだあとの日本は、かえって良くなると信じていました。もっと正直に云えば、日本の軍人に勝たれては助からないと思っていました。国民儀礼
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