で、どこかの社長が社の理想を長々と述べたに対して、どうぞ、その通りにやって下さい、と答えたそうだが、その程度の有りふれたアイロニイは劣等生でも言えることだ。
現に側近のバカモノが戦前に劣らぬ偶像崇拝的お祭り騒ぎにとりかかり、彼がそれに殆ど抵抗を示していないところを見れば、彼の聡明さや軍部への抵抗は、側近のつくりごとで、彼は善良な人間ではあるが、聡明の人ではないと判断してもよかろうと思う。
再び、集団的な国民発狂が近づいているのである。一方にナホトカから祖国へ敵前上陸する集団発狂者があり、コミンフォルムの批判にシッポを垂れて色を失う集団発狂者がある。この集団発狂は、彼の力では、どうにもならない。
しかし一方に、彼を再び偶像に仕立てて、国民儀礼や八紘一宇の再生産にのりだしそうな集団発狂が津々浦々に発生しかけているのである。この集団発狂は、彼個人の意志によって、未然に防ぎうる性質のものだ。すべて病気の治療というものは、初期のうちに行わなければ手おくれとなる。日本の都会があらかた焼野原になり、原子バクダンが落されてからでは、その善意は尊重すべきであるにしても、手おくれの難はまぬがれない。
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