まって歩きながら、アレだけは常に勃起しているというのは、怪談ですよ。
病院へいって治せるなら、すぐにも、入院したいと思う。又、事実、中毒というものは持続睡眠療法できわめてカンタンに治ってしまう。鉄格子の部屋へいれて、ほッたらかしておいても、自然に治る。けれども、カンタンに治してもらえるというのは、カンタンに再び中毒することゝ同じことで、眠りたいから薬をのむ、中毒したから入院する、まことに二つながら恣意的で、こうワガママでは、どこまで行っても、同じくりかえしにすぎない。
この恣意的なところが一番よく似ているのは宗教である。中毒に多少とも意志的なところがあるとすれば、眠りたいから催眠薬をのみたい、苦しいから精神病院へ入院したい、というところだけであるが、人が宗教を求める動機も同じことだ。どんな深遠らしい理窟をこねても、根をたゞせば同じことで、意志力を失った人間の敗北の姿であることには変りはない。
教祖はみんなインチキかというに、そうでもなく、自分の借金の言い訳はむつかしいが、人の借金の言い訳はやり易いと同じような意味に於て、教祖の存在理由というものはハッキリしているのである。
教祖
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