ぐらしてくれたので、伊東へきて、大決意をすることができた。
私の中毒にくらべると、身体がいいせいもあって田中英光は、決して、それほど、ひどい衰弱をしてはいない。彼は一人で、旅行もし、死ぬ日まで東京せましととび歩き、のみ廻っていたほどだ。
私ときては、歩行まったく困難、最後には喋ることもできなくなった。
田中英光のように、秋風の身にしむ季節に、東北の鳴子温泉などゝいうところへ、八ツぐらいの子供をつれて、一人ションボリ中毒を治し、原稿を書くべく苦心悪闘していたのでは、病気は益々悪化し、死にたくなるのは当りまえだ。孤独にさせておけば、たいがいの中毒病者は自殺してしまうにきまっている。
しかし私のように、意志によって中毒をネジふせて退治するというのは、悪どく、俗悪きわまる成金趣味のようなもので、素直に負けて死んでしまった太宰や田中は、弱く、愛すべき人間というべきかも知れない。
田中の場合がそうであるが、催眠薬はねむるためだと思うとそうでなく、酩酊のためだ。そして、このことは、案外一般には気付かれずに、しかし多くの人々が、その酩酊状態を愛することによって、催眠薬中毒となっているようであ
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