る。しかし酒量に於ては田中の半分には達しない。最後までツキアイができた悲しさに、田中の小説の中でいつも悪役に廻って散々な目にあわされているが、田中の小説は郡山に関する限り活写されてはいる、しかし、田中自身が活写されていないからダメである。両雄相からみ相もつれるに至った大本のネチネチした来由、それはツマラヌ酒屋の支払いの百円二百円にあることで、三銭の大根を十銭だして買ってオツリが一銭足りなくて、オカミサンが八百屋に恨みを結ぶに至るというような、それと全く同じ程度にすぎない俗な事情にあることを、彼は彼自身の場合に於ては、その俗のまま書くことを全く忘れている。ただ相手のことだけ書いているのである。
こういう田中だから、友達ができなかったのは仕方がない。自分だけ人に傷けられてると思っているのだから、始末がわるい。
女を傷害して、その慰藉料ということで、彼は悪戦苦闘していたそうだが、こういうことは友達にたのめば一番カンタンで、友達というものは、こういう時のために存在するようなものである。
我々文士などゝいうものは、人のことはできるが自分のことはできない。人の借金の言い訳はできるが、自分の借
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