安吾巷談
麻薬・自殺・宗教
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)呷《あお》りつゞけている
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)グル/\
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伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。
三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、
「あの人、ヒロポン売る人よ。一箱百円よ。原価六十何円かだから、そんなに高くないでしょ」
という。東京では、百二十円から、百四十円だそうである。
ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。最も濫用しているのはダンサーだそうで、皮下では利きがわるいから、静脈へ打つのだそうだ。
「いま、うってきたのよ」
と云って、女中は左腕をだして静脈をみせた。五六本、アトがある。中毒というほどではない。ダンサー時代はよく打ったが、今は打たなくともいられる、睡気ざましじゃなくて、打ったトタンに気持がよいから打つのだと言っていた。
この女中は、自分で静脈へうつのだそうだ。
「たいがい、そうよ。ヒロポンの静脈注射ぐらい、一人でやるのが普通よ。かえって看護婦あがりの人なんかがダメね。人にやってもらってるわ」
そうかも知れない。看護婦ともなればブドウ糖の注射でも注意を集中してやるものだ。ウカツに静脈注射など打つ気持にはなれないかも知れない。
織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ。当時の流行の尖端だから、ひとつは見栄だろう。今のように猫もシャクシもやるようになっては、彼もやる気がしなかったかも知れぬ。
織田はヒロポンの注射をうつと、ビタミンBをうち、救心をのんでいた。今でもこの風俗は同じことで、ヒロポン・ビタミン・救心。妙な信仰だ。しかし、今の中毒患者はヒロポン代で精一パイだから、信仰は残っているが、めったに実行はされない。
「ビタミンBうって救心のむと、ほんとは中毒しないんだけど」
などゝ、中毒の原因がそッちの方へ転嫁されている有様である。救心という薬は味も効能も仁丹ぐらいにしか思われてないが、べラボーに高価なところが信仰されるのかも知れない。しかし織田が得々とうっていたヒロポンも皮下注射で、今日ではまったく流行おくれなのである。第一、うつ量も、今日の流行にくらべると問題にならない。
私は以前から錠剤の方を用いていたが、織田にすすめられて、注射をやってみた。
注射は非常によろしくない。中毒するのが当然なのである。なぜなら、うったトタンに利いてくるが、一時間もたつと効能がうすれてしまう。誰しも覚醒剤を用いる場合は、もっと長時間の覚醒が必要な場合にきまっているから、日に何回となく打たなければならなくなって、次第に中毒してしまう。
錠剤の方は一日一回でたくさんだ。ヒロポンの錠剤は半日持続しないが、ゼドリンは一日ちかく持続する。副作用もヒロポンほどでなく、錠剤を用いるなら、ゼドリンの方がはるかによい。
錠剤は胃に悪く、蓄積するから危険だというが、これはウソで、胃に悪いといっても目立つほどでなく、煙草にくらべれば、はるかに胃の害はすくない。蓄積という点も、私はアルコールを用いて睡ったせいか、アルコールには溶解し易いそうで、そのせいか蓄積の害はあんまり気付かなかった。私の仕事の性質として、一週間か十日は連続して服用する必要がある。あと三四日は服用をやめて休息する。すると連続服用のあとは、服用をやめてからも二日間ぐらいは利いている。その程度であった。しかし私の場合はウイスキーをのむから、これに溶けてハイセツされて蓄積が少いということも考えられ、ウイスキーをのまない人の場合のことはわからない。
精神科のお医者さんの話でも、あれを溶解ハイセツするにはウイスキーがいちばんよいらしいとのことで、私の経験によっても、錠剤を用いる限りは、ウイスキーをのんで眠って、十日のうち三日ぐらいずつ服用を中止していると、殆ど害はないようだ。
又、服用の量も、累進するということはない。これは多分に気のせいがあって、昨日よりも余計のまないと利かないような気がするだけだ。
ただ、実際、利かない場合が一度だけある。それは三四日服用を中止したのち、改めて服用しはじめた第一日目で、この時だけは、なかなか利かない。つまり蓄積がきれているせいだろう。したがって、その反対に、蓄積すれば小量のんで利くことが成り立つわけで、事実その通りなのである。だから、第一日目だけ、
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