当人の定量より多い目にのむ必要があるが、翌日はもう定量でよく、三日目、四日目は定量以下へ減らしても利く。多くの人は、このことを御存じない。どうしても定量、又は定量以上のむ必要があると思いこんでいるのである。
 私の場合で云うと、私はゼドリンの二ミリの錠剤を七ツぐらいずつのむ習慣だった。一ミリなら十四のわけだが、どうも、二ミリ七ツの方が利くようである。これは製造元でたしかめると分るだろう。二ミリ七ツというのは普通の定量より倍量ちかく多いが、しかし、私は四五年もつづけていて、これで充分だったのである。織田にしても日に最低三十ミりは注射していたし、現在ダンサーの多くは三十ミリの注射ぐらい、朝メシ前という状態である。注射だと、どうしても、そうなりやすい。
 私は七ツの定量のところ、第一日目だけ、九ツのむ。二日目は七ツでよく、三日目、四日目は、六ツ、五ツと下げ、四ツですむこともあった。利かなかったら、またのめばよいのだから、はじめは小量でためしてみることがカンジンで、覚醒剤は累進して用いないと利かないという信仰を盲信してはいけないのである。
 したがって、私は覚醒剤の害というものを経験したことはなかった。
 害のひどいのは催眠薬だ。

          ★

 私はアドルムという薬をのんで、ひどく中毒したが、なぜアドルムを用いたかというと、いろいろの売薬をのんでみて、結局これが当時としては一番きいたからである。今日では、もっと強烈なのがあるらしいが、私はアドルム中毒でこりて、ほかの素性の正しい粉末催眠薬を三種類用いて、みんな、また、中毒した。
 現在日本の産業界はまだ常態ではないので、みんな仕事に手をぬいている。当然除去しうる副作用の成分を除去するだけの良心的な作業を怠っているわけで、それで中毒を起し易いのだそうだ。しかし、当今は乱世で、副作用などはどうでもよく、手ッ取りばやく利けばいい、というお客の要求が多いから、益々、副作用を主成分にしたような催眠薬が現れる。一粒のむと、トタンに酩酊状態におちいるような魔法の薬が現れるのである。
 人はなぜ催眠薬をのむか、といえば、このバカヤロー、ねむるためにきまッてらい、と叱られるだろうが、当今は乱世だから、看板通りにいかない。
 私の場合は覚醒剤をのんで仕事して、ねむれなくて(疲労が激しくなってアルコールだけでは眠れなくなった)仕方がないので、ウイスキーとアドルムをのんでるうちに中毒した。このアドルムは、ヒロポンの注射と同じように、のむとすぐ利く、しかし、すぐ、さめる。一二時間でさめる。そこで一夜に何回ものむようになって、中毒するようになるのである。
 しかし、中毒するほど、のんでみると、この薬の作用が、人を中毒にさそうような要素を含んでいることが分ってくる。
 田中英光はムチャクチャで、催眠剤を、はじめから、ねむるためではなく、酒の酔いを早く利かせるために用いていた。この男の苦心は察するに余りがある。あれぐらいの大酒飲みは、いくら稼いでも飲み代に足りないから、いかにして早く酔うかという研究が人生の大事となるのである。この男は乱世の豪傑のシンボルで、どれぐらい酒を飲んだか、ということが分らないと、彼の悲痛な心事は分らないようだ。
 この男が、二年ほど前、私が熱海で仕事をしていたとき、女の子をつれて遊びに来て、三日泊って行ったことがある。
 朝、一しょにのむ。私が一睡りして目をさますと、彼は私の枕元で、まだ飲んでいる。仕方がないから、私も一風呂あびてきて、また相手をすると、酔っ払って、ねむくなる。又、ねむる。目をさますと、もう、とっぷり夜になっていて、私の枕元では、益々酒宴はタケナワとなっているのを発見するのである。仕方がないから、また相手になって、ねむたくなって、
「オイ、もう、とてもダメだから、君は君の部屋へひきあげて、のんでくれよ」
 と云うと、
「ヤ、そうですか。じゃア、ウイスキーもらって行きます。それから、奥さんに来ていただいていゝですか」
 といって、田中と女二人が行ってしまう。田中の部屋では、田中と女二人でトランプをして、その間中、田中はウイスキーとビールを呷《あお》りつゞけているのである。
 ロスアンゼルス出場のオリムピック・ボート選手、六尺、二十貫。彼は道々歩きながらウイスキーをラッパのみにするのが日常の習慣で、したがって、コップに波々とついだウイスキーを、ビールのようにガブガブのむ。
 私は胃が悪いので、小量で酔う必要があって、ウイスキーをのんでいたが、あの当時は、熱海にはウイスキーがないので、東京の酒場からウイスキーとタンサンを運んでもらっており、いつも一ダースぐらいずつストックがあった。そのストックを田中英光は三日間で完全に飲みあげてしまったのである。
 田中と飲んでいる
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