と、まったくハラハラする。貴重なるウイスキーがビールのように目に見えてグングン減るからである。三十分とたゝないうちに、一本カラになる。ウソみたいである。本当だから、尚、なさけない。
 私が旅館をひきあげるとき、勘定を支払う時に、また驚いたが、田中は私のウイスキーをのみほしたほかに、ビール二ダースと日本酒の相当量をのみほしていたのである。これはみんな、私の部屋から追ッ払われて、自分の部屋へひきあげてから、寝酒にのんだのだ。眠っている時間のほかは完全に酒をのみつゞけており、私のところへ来た時ばかりではなく、概ね彼の日常がそうであったらしい。
 一日に三四本のウイスキーを楽々カラにして、ほかにビールも日本酒ものむ胃袋であるから、彼がいくら稼いでも、飲み代には足りなかったろう。いかにして早く酔うかということが、彼の一大事であったのは当然だ。そこで催眠薬を酒の肴にポリポリかじるという手を思いついたのはアッパレであるが、これは、どうしても田中でないと、できない。
 今、売りだされているカルモチンの錠剤。あれは五十粒ぐらい飲んでも眠くならないし、無味無臭で、酒の肴としても、うまくはないが、まずいこともない。田中がカルモチンを酒の肴にかじっているときいたときは驚かなかったが、カルモチンでは酔わなくなって、アドルムにしたという話には驚いた。あの男以外は、めったに、できない芸当である。
 アドルムは、のむと、すぐ、ねむくなる。第一、味の悪いこと、吐き気を催すほどであるが、田中は早く酔うためには、なんでもいい主義であったらしい。それにしても、酒の肴にアドルムをかじることが可能であるか、どうか。まア、いっぺん、ためして、ごらんなさい。そうしないと、この乱世の豪傑の非凡な業績は分らない。
 この一二年、田中が書きなぐっている私小説に現れてくる飲みっぷりの荒っぽさは、けっして誇張でなく、むしろ書き足りていないのである。事実の方がもっとシタタカ酒をのんでいた。あの男が、六尺、二十貫のからだにコップをギュッとにぎりしめて、グビリグビリとビールのようにウイスキーをのみへらすのを見ると、とてもこの豪傑と一しょに酒は飲めないという気持になる。こうして朝から夜中まで五軒でも十軒でもまわる。ともかく、いくらか太刀打ちできたのは郡山千冬で、この男も、五日でも十日でも目を醍《さま》している限りは酒をのんでいられる。しかし酒量に於ては田中の半分には達しない。最後までツキアイができた悲しさに、田中の小説の中でいつも悪役に廻って散々な目にあわされているが、田中の小説は郡山に関する限り活写されてはいる、しかし、田中自身が活写されていないからダメである。両雄相からみ相もつれるに至った大本のネチネチした来由、それはツマラヌ酒屋の支払いの百円二百円にあることで、三銭の大根を十銭だして買ってオツリが一銭足りなくて、オカミサンが八百屋に恨みを結ぶに至るというような、それと全く同じ程度にすぎない俗な事情にあることを、彼は彼自身の場合に於ては、その俗のまま書くことを全く忘れている。ただ相手のことだけ書いているのである。
 こういう田中だから、友達ができなかったのは仕方がない。自分だけ人に傷けられてると思っているのだから、始末がわるい。
 女を傷害して、その慰藉料ということで、彼は悪戦苦闘していたそうだが、こういうことは友達にたのめば一番カンタンで、友達というものは、こういう時のために存在するようなものである。
 我々文士などゝいうものは、人のことはできるが自分のことはできない。人の借金の言い訳はできるが、自分の借金の言い訳はできない。福田恆存が税務署へ税金をまけてもらいに行こうとしたら、隣家の高田保が、
「自分の税金のことは云いにくいものだから、ボクが行ってきてあげよう」
 と、たのみもしないのに、こう言って出かけてくれたそうだ。さすがに保先生は達人で、まったく、保先生の云う通りのものなのである。
 困った時には友達にたのむに限る。私が二度目の中毒を起したとき、私は発作を起しているから知らなかったが、女房の奴、石川淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。ずいぶん頼りない人に電報をうったものだが、これが、ちゃんと来てくれて、檀君は十日もかかりきって、せっせと始末をしてくれたのだから、奇々怪々であるが、事実はまげられない。平常は、この人たちほど、頼りにならない人はない。檀一雄は、私と約束して、約束を果したことは一度もない。たぶん、完全に一度もないが、本当に相手が困った時だけ寝食忘れてやりとげるから妙だ。
 田中英光の場合は、友だちに頼めば、なんでもなかったのである。その友だちが居なかった。
 私自身が田中と同じ中毒を起こしたことがあるから、よく分るが、孤独感に、参るのである。ほかに理由はないが、孤
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