川越にも、ここと同じような獅子舞いが残っているそうだし、若光の上陸地点と伝えられる大磯にも似た神事があるそうだが、それらについては私は知らない。とにかく、この獅子舞いも笛の音も、現代の日本とツナガリの少いものだ。古いコマ人のものであろう。
 もうコマ村の建物にも言葉にも、風習にも古いコマを見ることはできないが、笛の音と獅子舞いのほかに、一ツ残っているのがコマの顔だ。
 中折のニコニコジイサンはただ一人の祭りの歌を唄うジイサンだが、彼の口もとに耳をよせ、台本と睨み合せて聞いても、何を唄っているのだか一語もハッキリしない。この顔はコマの顔というよりも練馬の顔というべきかも知れない。武蔵野の農村に最も多く見かける顔なのである。
 私たちがピクニックの弁当をぶらさげて飯能で乗り換えたとき、私たちの何倍もある大弁当をドッコイショと持って乗りこんだ多くの男女があるのに驚いた。カゴに一升ビンをつめこんでいる人々も多い。これがみんなコマ駅で降りた。若い女性が多い。さてさて当代の武蔵野少女は風流であると感に堪えて、やがて我々のみ遠くおくれ道に迷いようやくコマ神社に辿りつく仕儀と相成ったが、彼女ら
前へ 次へ
全48ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング