養蚕期に当るので、十月十九日にやるようになったのです」
との答えであった。尚、二月二十三日に祈年祭というのがある。この日附もコマ村ならば当然そうあって然るべき一ツのイワレが思い当るようだが、それは私の思い過しかも知れない。
社宝の大般若経というのは、ここの子孫の一人が建暦元年から承久二年までの十年間に下野足利の鶏足寺で書写したもので、例年春三月に転読するのだという。そもそも移住の時から仏教と非常に深い関係があったこと、そしてそれは本地垂迹神仏混合以前であることを特に注意すべきであろうと思う。鶏足寺とは妙な名だ。鶏足は鶏頭のアベコベだが、どういうイワレによる寺名であろうか。
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翌日、檀一雄邸では御婦人方が朝からお弁当づくりに多忙である。昨日の三人に写真の高岩震君を加え、四人の大男が獅子舞い見物ピクニックとシャレこんだからだ。お酒があるから男の大供のピクニック弁当も重たいものだ。
本日はピクニックであるから、コマ駅まで電車で行って、コマ神社まで歩く。相当な道のりだが、近道を歩いて道に迷う。急がば廻れと云うのもコマ村のコトワザだ。と何でもコマ村にしてしまう。
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