がとれている。その響きが一間か一間半ぐらいで、急にとぎれて吸われて、なくなるような、厚い布地をかぶせて太鼓をうってるような鈍い音。
普通の獅子舞いは、獅子と太鼓は別人がやる。獅子は面を頭上にかざして口をパクパクやるために両手を使うから、太鼓をうつことはできないのである。
この獅子は頭上に獅子をかぶり、顔の前面には長いベールを垂らしている。グッとそッくりかえったり、前かがみになってタテガミをふったりしながら、片足を踏みあげて、太鼓をうつ。獅子は腹部に太鼓をぶらさげ、自分でそれを舞いながら打つ。
赤青黒の三人の獅子。その足の捌きや、身の振り方はやや日本化しているが、それは彼らが自然に日本人に同化するうちに巧まずして多少の影響をうけただけのことで、その本来の骨法はまったく日本の現実に何の拘りもないことが分る。支那風でもあるが、蒙古風と云うべきかも知れないな。
舞いは二匹のオス獅子が一匹のメス獅子を取りッこするのを現しているのだそうだが、それにふさわしい勇ましさも陽気さもなく、ただ物悲しく単調な笛であり太鼓であった。
「祖神の霊をなぐさめるとでもいうのかなア。ところが陽気なところが全然
前へ
次へ
全48ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング