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川越にも、ここと同じような獅子舞いが残っているそうだし、若光の上陸地点と伝えられる大磯にも似た神事があるそうだが、それらについては私は知らない。とにかく、この獅子舞いも笛の音も、現代の日本とツナガリの少いものだ。古いコマ人のものであろう。
もうコマ村の建物にも言葉にも、風習にも古いコマを見ることはできないが、笛の音と獅子舞いのほかに、一ツ残っているのがコマの顔だ。
中折のニコニコジイサンはただ一人の祭りの歌を唄うジイサンだが、彼の口もとに耳をよせ、台本と睨み合せて聞いても、何を唄っているのだか一語もハッキリしない。この顔はコマの顔というよりも練馬の顔というべきかも知れない。武蔵野の農村に最も多く見かける顔なのである。
私たちがピクニックの弁当をぶらさげて飯能で乗り換えたとき、私たちの何倍もある大弁当をドッコイショと持って乗りこんだ多くの男女があるのに驚いた。カゴに一升ビンをつめこんでいる人々も多い。これがみんなコマ駅で降りた。若い女性が多い。さてさて当代の武蔵野少女は風流であると感に堪えて、やがて我々のみ遠くおくれ道に迷いようやくコマ神社に辿りつく仕儀と相成ったが、彼女らも特に風流女学生ではなかったのである。みんなコマ村出身の父兄であり、子弟であった。彼らは実家や親類の家でゴチソウを並べて祭りの日をたのしむらしく、お祭りの境内に一年一度の獅子舞いを見に来ている人は多い数ではなかった。よその村祭りと同じように舞台を造っていたが、夜になると浪花節でもやるのだろう。そして、その時こそは全村老若こぞって参集するのかも知れない。
三匹の獅子は青年がやる。これに対して十歳ぐらいの少年四人が女装して、ササラッ子という役をやる。よそでは天女と云うそうだが、左手に太い一尺余の竹をもつ。竹の上部は削られて空洞になってるが、これを胸に当ててバイオリンのようにもち、右手に割り箸を合せたようなササラをもち、ササラで竹をこすって音をだす。音と云ってもザラザラザラとこすった音しか出ないのは云うまでもない。頭上に四角の箱をのせて四方にベールを垂らし、箱の上には花飾りのような棒を何本も突ッ立てている。
メスの獅子が隠れる時は四人のササラッ子のマン中に隠れる。その周囲をオスの二匹がさがしまわる。
この舞いをササラ獅子舞いと云っているが、舞いは全部で四十四段あり、名称と笛の音が次のよ
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