は、日本に何人も居ない大作者であり、大指導家ですよ。彼が完成した宝塚調というものは、ともかく日本には珍しい独創的な作品の一ツであるし、たしかに独特の美を生みだしております。これだけ独特の仕事を仕上げた作者は日本の映画界に居るとは思われない。
宝塚がせまいといえば、特別な動物に占領されているせまさなのである。「虞美人」的な方向に向えば、やがてチエホフを宝塚的にとりいれることも不可能ではなかろう。
南悠子壊の虞美人はともかく一ツの性格がでていた。そしてこの一人以外には性格を表現している俳優はいなかった。しかし、これは俳優たちが性格が表せないわけではなくて、宝塚の脚本が性格を表すような劇を扱わないせいだ。私は過去にラジオできいたり雑誌でみたりした脚本では、登場人物全てに宝塚調という特性はあっても、人間の性格なぞありやしない。人間に性格があっては、過去の宝塚調は破れてしまうし、それは「人間の劇」になって、「宝塚の劇」というお行儀のよい中性的メルヘンでなくなってしまう。
ともかく今度の「虞美人」に至って、主役の一人がかすかではあるが性格や人間臭をだせるような脚本を扱ったという次第であろう。
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