れないようなフシギな中性動物が現れてくるのだから、生きた人間と血は通わなかったろう。公然ワイセツ陳列罪などというのがあるそうだが、戦前の宝塚はこれをアベコベに人間歪曲罪と申すべきや。不当に人間を歪めて涙をしぼらせタメイキをもらさせたりするのも罪の一つだと私は思うな。セップンという言葉も使わないというようなことは、善でも美でもないですよ。本当の人間のよさ美しさは、そんなチャチなものではありませんとも。
 最近、宝塚のスター連が映画や他の舞台へ出たがるのが流行だそうだ。宝塚にあきたらず、ひろい天地をもとめての行動だという。ひろい天地と云えば、舞台公演が一ヶ月で十万人ぐらいしか相手にできないのに比べて、一本の映画は何百万、何千万を相手にすることができる。そういう広さは確実にそうだけれども、作品の内容の高さ深さ広さや、芸格の幅に関しては、どういうものですかね。日本の映画は、ひろいですか。広い天地だとも思われないな。
 相手役の芸に関してだって、映画俳優が宝塚より達者だとも思われないし、作品の内容や、構成の巧拙だって、宝塚が下だとは思われないね。たとえば、作者について考えたって、白井鉄造という人
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