と言葉の数を控えてみたり、言葉の表現や表情に意をめぐらしてみたりする、食堂で中食をたべてもあんまり大食と思われるかしらと考えなければならないような衰弱しきった自己表現や和平運動というものが、いかに不用で、ミジメなものかということが、この土地に於てハッキリするようである。人生とは戦争である。否、一撃のもと敵のノド笛をきり、イノチを断つことだ。和平運動とは衰弱者の妄想だ。男と女が食事や言葉をひかえて妥協和平をカクサクするのは彼らが衰弱しきった病弱者だからである。結局そういう結論を宝塚のパチンコ屋で戦意とみに昂揚している娘たちが教えてくれるのである。
だからアベックは仕方がない。自然に植物園へ追放されて木蔭のキノコかのように益々モタモタとムダな時間を費している。とにかく仕方がないのさ。女だけのパチンコ屋というものはフシギの多い日本のうちでも宝塚にしかないだろうからねえ。ここは女だけ集ってパチンコ程度の殺リクをやってるだけではなくて、独特の思想も、政治も行っているようなものさ。マキャベリの如きものは女将軍の背中を流す三助にも当らない。ただの女兵隊の背中を流す光栄を許されうるかどうかすらも分ら
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