物のよさが宝塚のものではあるが、その弱さ、甘やかされたバカなところも宝塚のものではある。
 だいたいに芸術家とは同時にバカである。ただ一念芸道に凝ってドンランあくなき芸熱心の手合に限って、ジャジャ馬で、ウヌボレ屋で、箸にも棒にもかからぬという鼻もちならぬバカである。
 ところが宝塚の諸嬢は、そのバカなところまで上品で節度があるような温室の草木的オモカゲがはなれない。箸にも棒にもかからぬバカなところは保護者の難民たちが引きうけているせいかも知れんが、芸道に対して本当にドンランなきびしさを忘れているせいでもあろう。芸道にたずさわるものは、手に負えないバカなところがなければならぬものだ。バカなところも温室の草木なみだというのは、世間的にはスターでも芸道の素養に於ては要するにいつまでたってもタダの生徒、徒弟だという意味でもある。要するに大がかりで、良く出来た学芸会というのが今までの宝塚の性格なのである。
 私は真夏の炎天の下を、七万坪の宝塚の遊園地を隅から隅まで廻って歩いた。イヤ、歩かされた。ここの案内者は活動屋のように進んで国辱を見せようと粉骨砕身する奇怪な風格はないから、つまり七万坪の隅か
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