ら隅まで御自慢のものである。しかし宝塚の女子占領軍は多くのことには慾念がない。というのは、学問もないし、したがって興味もないし、サビを愛するような心境もない。当り前だ、ジジイやババアのようにサビを愛していられるものか、と抗議を申しこんではイケませぬ。どうも上方《カミガタ》に知人があって、そこのウチに娘が居ると、来客に対してムヤミにお茶(オウスと云うのかね)を一服もりたがるのでこまる。もうタクサンだと云わないと二服でも三服でももりたがる。娘や婆さんが犬の出入口のような小さな穴からムリに現れて一服もるのである。人のウチや人の町が戦争で焼けてしまえというようなことは冗談にも云うべきではないが、日本の大多数の都市がムザンに焼けたのに、京都が、イヤ、京都と云うとイケないが、つまり例の娘が出たり引ッこんだりする犬の出入口の最も多い京都が、イヤ、つまり犬の出入口のある奇怪の宴会室の多くが焼け残ったというのは、怖るべきことだね。上方《カミガタ》の娘はムリに犬の抜け穴から現れて一服もることに熟達しているが、彼女らはたいがい同時に宝塚の難民の一人でもある。ところが犬の抜け穴から現れて一服もるのは風雅やサビ
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