られたことがある。このニューフェイスの教室にはおどろいたね。これを面白がってムリに一見をすすめる活動屋のキモの太さの方が天下の奇観なのかも知れない。女生徒は女優の卵なみにあたりまえの洋装だが、男の方はみんなアロハのアンチャンそのものだ。先生の講義に耳を傾けているのは一人もいない。隣り同志どころか、あッちとこッちと遠くはなれた同志で遠慮なく語らッているし、たッた十五人ぐらいの生徒のうち常に一人か二人が当り前の跫音《あしおと》で教室を出たり入ったりしているよ。女の子というものは常にあのようにハンドバッグを開けたり閉じたりする習性があるのだろうか、絶える間もなく誰かしらがハンドバッグを開けてのぞいて掻きまわしたり、ちょッと置いてみたり、実にどうも十五人の全員が鳥籠の中のメジロのようにキリもなく動いているね。
 講義中の先生は私もその名をよく心得ているその道の大家で、東京と上方《カミガタ》の芸者の作法や習慣の相違を説き明していらッしゃる。拙者がきいてると、大そう面白くて有益なお話で、映画俳優の卵には後日役に立つに相違ない話だ。けれどもビクターの犬の十五分の一も謹聴という態度を表しているのは完璧
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