ざして」宝塚をはなれる人々も、文藝春秋五百助氏と同じようにただ映画にでるというだけのことで、ミーチャン、ハーチャン的ではあるが、本当の芸術家の気風とは違うな。むさぼるようにドンランな、すさまじい芸道は感じられない。女優でなくて生徒とよぶのだそうだが、いかにも生徒の勉強に甘んじて、それ以上のドンランあくなき勉強が感じられない。
それでもあの大舞台で坐ったまま動きの少ない主役たちの迫力が消えかからずに、かなり浮き上ってくるから、まア、いくらか、ほめてやってもよい。女子占領軍専用だけではモッタイないところがある。逆上熱狂したがらないタダの人間が見ても結構見られる芝居です。要するに、娘と一しょに気むずかしいオヤジが見ても面白いのです。むしろ「ひろい天地」の映画よりも、こッちの方がバカバカしくないぐらいだ。全体のマトマリもあるし、ふくよかなところもある。日本映画の大部分は低俗だの何だのと云うよりも、本質的にバラックの感じだからなア。バラックというものは芸術ではないのですよ。芸術は必ず本建築だけれども、日本映画はバラックの素質だもの。宝塚はとにかく素質的にふくよかだ。とにかく本建築をめざす精神が
前へ
次へ
全40ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング