元のようにする時間と、十メートルほど歩いて立ち去るまでの時間とでは前者の方が時間を要するようだから、発覚を怖れるせいではないようだなア。すると自分の盗むのはかまわんけれども、他人が盗むのは甚だ不都合だという思想によるのかも知れん。こういう思想はマニヤの思想であるが、そんな思想の少年が居るなら、彼の泥棒行為を憎むよりも、その情熱の偉大さを証するに足る完璧な遂行作業に賞状を与えるべきかも知れないな。宝塚には後生怖るべき大昆虫学者の卵が棲息しているのかも知れませんな。しかし、かように落付き払った泥棒作業が何回となく初志の通りに完了されているということは、劇場と動物園以外の場所が、そして実にチョッピリと俗でないような面構えを示している場所が、ここを占領している難民たちにいかに完璧に黙殺され無視されているかを示しています。これは大阪を中心にした上方《カミガタ》の一般の気風であるかも知れません。
 植物園の中には五十|米《メートル》プールもあったが、子供が三人ジャブジャブ遊んでいただけであったし、馬場もあって、緑の乗馬服をりりしく身につけた娘調教師と数頭のタダモノではないらしい立派な馬もチャンと揃ってお客を待ってる様子だけれども、例によって他に人影は殆どなく、劇場と動物園のほかは全てのものが存在の目的も理由も失っている。だから、タダモノではないらしい立派な馬も仕方なくブラブラしたり逆上的に走りかけてみたり諦めてみたりしているし、美しい緑の乗馬服にピカピカした乗馬靴をはいてチャンとムチまで手にしている少女調教師も仕方がないから水道の蛇口を指で押えて噴水をつくッて馬にぶッかけて実用と娯楽の両面兼備のヒマツブシに熱中したりしている。
 モッタイない話だなア。私は東京の馬湯もその他の馬場も知らないけれども、美しい乗馬姿にりりしく身を固めた美少女の馬係りがお客の世話をやいてくれる馬場の話などはきいたことがない。同じように美少女と動物を活用しても、大入り満員なのは劇場と動物園だけで、その他はどうしてもダメらしいや。
 美少女と動物で思いだしたが、「虞美人」ではホンモノの馬と象を用いていた。春日野、神代両嬢が項羽と劉邦に扮して最初に登場する時は舞台の両側からホンモノの馬にのって現れる。春日野嬢はまさに帝王の様式の如くに白馬にまたがっていらせられた。
 すべて芸術はガクブチだの舞台だのと限定や制約からくる約束があって、要するにナマの写実やナマの現身《うつしみ》は芸ではないと云っても、それは人間についてのことで、二人の人間が馬の着物をかぶって一匹の馬になったツモリらしくシャン/\と鈴をならして現れる怪物は、それが約束というもんだといくらその道の奥儀を説いてきかせられても、ウーム、そうか、これが約束というものか。実に立派だ。あの役者は馬の芸が達者だなア。あの馬の見栄の切り方を見なよ。これを名人芸と云うんだなア、と云ってほめることができる性質のものではありやせんなア。
 宝塚は利巧ですよ。たしかに馬ぐらいはホンモノを使うべきですよ。しかも、使い方が巧妙ですよ。塩原太助にホンモノの馬を使っても変なものだ。なぜなら、人間の役者の方が手拭で涙をしぼりながら、アオよと泣いて熱演しているのに、馬だけがホンモノで全然ヌッとホンモノの馬面を下げているだけでは、どうにもウツリが悪いね。
 宝塚の馬は項羽と劉邦がはじめて登場する時に乗って現れてくるだけだ。そして馬上の両雄が、我は項羽なり、我は劉邦なり、と馬上で見栄をきってサッとひッこむ時だけに用いている。両雄の初登場がリンリンと力がこもって目覚ましく生きているのもホンモノの馬を使ったからでもあるし、またホンモノの馬を使いうるのでこの登場ぶりを発案し得たのでもあろう。とにかく慾の深い、むさぼッた使い方はしていないし、最も生かして使っている。ここの先生方はたしかに頭がよろしいな。敬服しました。
 馬はよその土地の公演でも使えるかも知れないが、象は動物園を所有しているこの根拠の大劇場でだけしか使えないのかも知れない。しかし諸事に於て日本全体が不備だらけの敗戦直後の今日ではムリであっても、多少のムリも覚悟の上で象でも鯨でも公演地へ輸送する心構えは必要であろう。出演時間が十秒か三十秒のものであっても、その効果の必然性が算定されている舞台なら諸事に手落ちも手抜きもなく再演を期してゆずらないのが芸道の良心、芸術家の支えというものだ。しかしそのような本建築的な心構えはここの先生方には一番期待がもてるようである。とにかく単にコケオドシにホンモノを使うのではなくて、それを使う必然性や、効果的な使い方が実に正しく考案せられているのであるから、芸術はゼイタクである、ゼイタクでなければならぬ、ということの正しい意味を本質的に身につけている先生方に相違な
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