、女とも云うのである。そしてこの怖るべき人物たちがその人生の初年に於て宝塚の大バクハツを完了してくるということは、日本の男の子の地上のささやかな平和を約束してくれる慶事慶兆であるかも知れん。宝塚こそは日本の地底の烈火を調節してくれる安全弁ですかね。
 宝塚の遊園地では、劇場と動物園だけが主として難民に占領せられている。植物園となると、わずかばかりのアベックの散歩用に使われているだけだ。ここには相当の珍種があるのだそうだが、私とても傍系の難民だから、焚火をする以外に植物の名も用も知らないのである。植物園の中には図書館があるし、昆虫館も、水族館もある。図書館には遠方から本を読みにきた人のための寝室があったそうだ。拙者が諸国に居候をしていたころ、この図書館の存在と目的が分っていると、当然宝塚の居候となって、今では含宙軒博士も舌をまくほど植物昆虫に至るまで通じていた筈であろう。その目的が失われてから存在が分っても、ガッカリするばかりで意味をなさんよ。
 また昆虫館も相当のコレクションで珍種が多いそうだが、特に小さなハチやアブや蝶に限って相当に盗難にかかっている。犯人は子供だろうという話だが、特に小さい昆虫を選んでいるのはどういうワケだろう。小さいのに珍種が多いのだろうか。持ち運びの便利のためなら特に昆虫の大小の如きが大問題でもなさそうだ。もっとも小さな虫の標本はどの箱の場合でもその最下部にある。苦心して標本箱のガラスをずり動かした場合に手ッとり早くマンマと手に入れられるのは小さな昆虫である。ところが標本箱のガラスは開閉の便を考えて造られたものではなくて、すでに出したり入れたりする必要のない内容の全部をそろえた上で、それを密閉する目的だけのために造られたものであるから、単にガラスを開けるだけでも素人には困難な作業で、人目を盗んでカンタンに開けられる仕掛けになってはいないのである。
 ところが昆虫泥棒はその困難な作業を手際よくやっているばかりでなく、彼の去ったあとには標本箱は元のようにガラスに密閉されていて、内容の昆虫をしらべなければ盗難が分らない。標本の名札があって昆虫の姿がないという盗難の跡を示している箱は相当の数である。実にフシギなことだなア。宝塚に於ては、泥棒に礼儀が行われているのであろうか。元のように箱の密閉がほどこされていることは発覚の怖れのためもあるかも知れんが、
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