点でもある。松本の平野へ、またスワへ、伊那へ。遺跡から判断して三ツの古代人の発展方向のその重大な分岐点、聖なる根拠点たる穂高神社。又その山上たる穂高の峯は信濃側の信仰からは一ノ山と見られるのが自然かも知れん。そして船津へついた一行が登るとすれば、乗鞍よりも穂高の方を選ぶのが自然かも知れないのである。その二ツの中間のアワ峠が一番古くひらけた道のようだ。
 この氏族は船津上陸当初は谷沿い道よりもむしろ尾根づたいに歩いていたと見られる。穂高中心に北には立山へ、南には乗鞍、御岳へと彼らは尾根づたいに往復して立山と御岳から低地へ降り、もしくは中間の峠を降りた。御岳を尾根づたいに南下すると三国山と云って、ヒダ、シナノ、ミノ、三国の境、そのヒダ側が竹原村で、そこが尾根から低地へ降りる南限の地点と想像される。今もスワ神社の神事にスワ湖の氷上渡御というのがありますが、これは穂高から御岳への尾根通行を湖水に当てはめたもので、あの氷のワレやモリ上りは一方には中間の乗鞍のクラにのるという意味と、氷がわれるということで通過の雪どけを待つ意味の通交の祈願のような気がします。
 竹原村大字宮地の川合平に日本に珍しい
前へ 次へ
全58ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング