すぐムホンが起って、誰の目にも無実らしかったというのは、やっぱりヒダ相手のカラクリだったのだろう。そして、それに連座したカドであると称してタチバナ末茂がヒダ権守となって左遷された。そして、ずいぶん長くヒダにとどまって、官位も上っていますが、廃太子高岳親王真如が千光寺を建てるに至ったのも、それとレンラクあってだと考える余地はありそうです。
 そして、まさしく、このころから、ヒダは次第に支配しやすくなってるのです。
 私はケサ山千光寺へ登ってきました。これがまた大変なところで、八町坂とか云うそうですが、その八町が胸をつくような急坂で、拙者のようなデブには登るのが大変なところです。
 この寺は変った寺で、本堂の隣に両面堂と云ってスクナを祭っている。そして、この寺の開祖はスクナであると縁起にある。仁徳天皇時代に殺されたスクナが、当時仏教もないのに開祖というのはおかしいようだが、彼が天武天皇に殺されたその人なら、彼が開いた寺であっても全然フシギはありません。彼は人民にしたわれた威徳ある統治者であったらしいから、立派な社寺を建てたにしてもフシギはないでしょう。しかし、彼は建てなかったかも知れない。
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