たらしく、祭神が今もハッキリとしない。神武天皇と云い、大国主と云い、その他色々で、水の神サマであるか風の神サマであるか、それもハッキリはしていない。ヒダの伝説によると、
「神武天皇へ位をさずくべき神がこの山の主《ヌシ》で、身体が一ツで顔が二ツ、手足四ツの両面四手という人が位山の主である。彼は雲の波をわけ、天ツ舟にのってこの山に来て神武天皇に位をさずけた。そこで位山とよび、船のついた山を船山という」
これはヒダの国守であった姉小路基綱のヒダ八所和歌集裏書きの意訳ですが、これがだいたいヒダの伝説の筋です。
現に水無神社のすぐ近くに位山と船山とあり、山上には巨石群、古墳群があるそうですが、しかし前文の作者は、
「位山は諸木の中でも笏に用いる一位《イチイ》ノ木が多い。麓をまわれば二十余里、宮殿(水無神宮の由)の奥、また府(現高山市)から麓まで七里余」
とある。位山と船山は高山や水無神社から頂上まででも一里半か二里ぐらい。里数が違う。そこで、位山は乗鞍だというのが郷土史家の定説である。むかしは乗鞍を位山と云った。位山が乗鞍を指すのであると多くの史料に見られる位山の記事にピッタリする。その代
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