の事情に対応して朝廷方からワケの分らぬ方法で利用だか慰撫だかオベッカだか判断しにくい待遇をうけているので見当がついてくるのであります。それは後で説明しますがとにかく、伊勢はここに祭られた神の本当の故郷ではありません。それは文句なしにハッキリしておりましょう。
神武紀に於てはその敵はウカシ兄弟である。これも両面スクナと同じであって、攻撃される方とする方とは、一方がクマソ的であれば一方は日本武尊的で、神武天皇の兄弟たり分身たる五瀬命の運命は日本武尊的ですが、その敵将の運命はクマソ的で、合せるとスクナの両面になる。そして実際はクマソと日本武尊の運命を一身に合せた悲劇的な運命の者の方が実は征服した方の正理をもつものでもあった、即ち日本の本来の首長であった、ということを五瀬命の兄弟分神たるものが征服者で正統の日本の第一祖たる神武天皇であることによって示されてもいると解しうるのであります。
これと同じことを暗示していると思われる分身的兄弟の例は崇神垂仁時代をはじめその他の諸々にもその例を見ることができますが、それらがみんな同一の事件と、同一の人物をさしているものと見てさしつかえないかと云えば、私は然りと思う。つまり日本の神様も、天智以前の天皇様も、実は何人もいなかったのです。何代もどころか、本当の神代のはじめから、天智以前までは百年にも足らないぐらい短いのだ。だが、重大な秘密、たとえば国譲りの問題などで、何をおいても隠さねばならぬという、緊急、重大きわまる大事があった。それほどの大事はせいぜい二ツか三ツか、多くても五ツぐらいのことでしかない。その秘密が重大で隠す必要があるのは、それぐらい現実的で生々しくて、つまり時間的に遠からぬ短期間のうちに起った問題だということで、つまり隠すべき重大な秘密が国譲りやクーデタや戦争なら、その全部がとにかく遠からぬ事件である。そして神話も天皇紀も、ダブリにダブらせて、その重大なことを、あの神様、あの天皇、あの悪漢にと分散してかこつけて、くりかえし、くりかえし、手を代え、品を代えて多くの時代の多くの人物にシンボライズした。それは正しい真相を知る者がよんでも、どこかで正しい真相とひッかかりがあって、彼らをも、また自分の良心をも、どこかで満足させる必要があったせいだろう。また諸国の伝説にツジツマを合せたり、帰順した諸国に史家を派して、郷土史に合せて
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