重大な秘密を諸国へ分散させ、また記紀に合わせて、適当な地名や神名を各地につくらせるようなこともしたのではないかと思われます。新しい統治者がそこまで苦心して、自分の新しい統治に有利な方策をあみだして実行するのは理の当然で、その利巧さが賞讃されても、それだからその子孫たる現代の天皇がどうだこうだ、という。そんなバカげた理論は毛頭なりたたない。ただ神代以来万世一系などゝはウソであって、むろん亡ぼされた方も神ではない。しかし当時は神から位を譲られたというアカシをみせないと統治ができにくい未開時代だから、そこでこういう歴史ができた。これは当時における当然で必至の方便であるが、現代には通用しないし、それが現代に通用しないということは、天皇が神でなくとも害は起らぬだけの文明になったという意味であるのに、千二百年前の政治上の方便が現代でもまだ政治上の方便でなければならぬように思いこまれている現代日本の在り方や常識がナンセンスきわまるのですよ。この原始史観、皇祖即神論はどうしても歴史の常識からも日本の常識からも実質的に取り除く必要があるだろうと思います。さもないと、また国全体が神ガカリになってしまう。私は学者じゃないから、重たい本をひッくり返しているとすぐ目マイがして頭痛もする、まことに大そうツライのですが、本職の先生方がおやりになる気配がないから、仕方なくやってる次第です。子供の時から学問というのはニガ手なのですよ。

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 つまり日本の官撰史は諸国へありがたそうな神様や恐しそうな悪者を分散させてその土地のユカリのものとし、また土地の豪族やその歴史をとりいれて自分の身内の神としました。しかし、先にも申したように神様を諸国へ分散させたと云っても、その神様は実はごく少数しか原形がなくて、諸国の各時代へ分散した多くのものが実はその少数の原形の変形であり、くりかえしにすぎない。そのなかで、ありがたそうな神様の分配には一切あずからなくて、両面スクナという奇怪な悪漢だけ分配されてるのがヒダの国です。
 ところがヒダの伝説は書紀とアベコベのことを伝えており、偶然にも国史と伝説までがスクナを両面的に仕立てる結果になりましたが、実はスクナが両面でなければならぬ本当の理由はこれで、これによって本質的に両面でなければならぬのがスクナである。そう見ても差支えはないようです。
 つまり
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