。しかも熊襲タケルは死ぬ時にミコトに向い、自分が一番強いと思っていたらあなたはもっと強いから私の名のタケルをとって日本タケルとよびなさいと自分の名を彼に伝えさせている。それは熊襲タケルの運命をそッくり負うてるものが日本武尊でもあって、つまり日本武尊が実はクマソと同じ運命の人であると暗示している如くにも解せられる。そして両面スクナと忍熊王とはともに武振熊によって殺されているが、スクナは熊襲タケル的に、忍熊王は猪に殺された兄の方と合せると日本武尊的に殺されている。これを綜合するとクマソを殺した日本武尊は、自分がクマソを殺した方法で武振熊に殺されてる。また武振熊に殺されたスクナは、書紀では日本武尊に殺されたクマソ的であるが、ヒダの伝説では日本武尊の殺され方と同じで、要するに日本武尊兄弟、忍熊王兄弟、両面スクナは同一人物で、スクナは一体で顔二ツというのが変っているだけですが、このことは、これらの兄弟の神話は二人一組で一人をさし、もしくは、たった一人の史実をいろいろの兄弟や双児の二人組にダブらせて、その綜合でその一人の真相を暗示していると見ることもできます。
 ほかに兄弟神話はというと大ナムチとスクナヒコナが同一神の大国主をさしているらしいのが神話中の第一の大物で、次に神武天皇紀が登場人物の多くにわたって両面的に、フタゴ的である。
 神武天皇自身すでに五瀬命《イセノミコト》という兄があって、神武と共に力を合せて戦ううち日本平定直前にチヌ山城水戸で敵の矢に当り、古事記によると途中血だらけの手を洗ったところを血沼《チヌ》海と云い、人に負われて紀国男水門に行って雄叫びをあげて死んだと云うが、書紀は紀伊カマ山まで行って死んだ。とにかく死に場所はハッキリしないが、そのカマ山に葬ったとある。これも両面スクナの正史と伝説の両面、つまり正史においてはクマソ日本武尊の二ツによく似ています。五瀬命は恐らく伊勢大神宮の重大な隠し神様、荒ミタマだろうと思います。そして実際は今の天皇系ではなく反天皇系の大親分の運命を暗示する一ツでもあって、伊勢が内実はそういう面をもつ神でもあることは、伊勢と吉野と近江、それから隠され里のようなヒダ、スワ等のその後の史実が語っております。つまり主として天智後の戦争のたび、又はその平定後、そして平安京が本当に安定する頃までの期間というもの、それらの国々に対し、またその時々
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