は悲惨です。熊襲《くまそ》征伐の時も天皇が自分を殺すために旅にだすのだと嘆き、東征の時にもいよいよ自分は生きて帰れぬ、天皇は自分を殺すツモリだと嘆いています。そのときミコトに刀を与えたりして励ましているのは、伊勢と熱田の斎宮の皇女ですが、さて双生児の一方はというと、書紀の伝えでは天皇が兄をよんで、熊襲は弟の日本武尊が平げたから東のエミシはお前がうてと命ぜられたが弱虫の兄は顔色を失ってしまったから、そんな弱虫は勘当だとヒダへ流されたという。そしてこの皇子は守君とムケツ君の祖だと云うてますが、ヒダへ流されてからのことは何も伝わっていません。古事記によると、ミノの神大根王《カミオオネミコ》の娘に兄ヒメ弟ヒメという姉妹の美人があるときいて天皇が二人の美女を連れてくるようにと大碓命をつかわした。ミコトは二美人と仲よくなったあげくニセモノを天皇にさしあげて自分は二美人とたわむれて朝礼も怠ったから、日本武尊に命じて兄に朝礼するよう忠告せよとつかわされた。日本武尊はその兄をつかみ殺しひきさいて棄ててしまったから、天皇はその蛮勇を怖れ、諸国の悪者退治にだして殺そうとされるに至ったというのである。ミノは当時はヒダも含めてミノであるから、記紀いずれの説にせよ兄大碓はヒダの地と深いツナガリがあるのです。しかし大碓命のヒダの伝えや跡は殆どなくて、三河の狭投《サナケ》神社の縁起に大碓命はサナケ山で毒蛇にかまれて死に当社にまつる、とあるそうです。
 ここで注意すべきは、古事記の景行天皇紀というものは大碓小碓双生児のみならず、主要な登場人物が必ず二人、分身的な兄弟姉妹であることで、日本武尊の退治た熊襲も兄弟、大碓命の愛した娘も姉妹である。そして、日本神話には、兄弟、姉妹、二組ずつの話は甚しく多いが、特にこの類型の甚しいのは神武天皇紀に見られるのであります。
 このように主役がそろって相似の二人であることは二人合せて一人であることを意味する場合もあるだろうと思います。もっともフィクションの作法から云うと、分身の一ツが真実を解く暗示であって、暗示の役割の方は端役的で目立たない。他の一方の、つまり暗示のカギで解かれる人物の方は表向きの主役であるが、これは真実が歪めてあって、その分身の暗示することをカギとして解明しうるものが真相であるらしい。
 たとえば日本武尊が景行天皇にうとまれて天皇は彼を殺すために諸
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