鍾乳洞はいつの時代か人々が斧で穴をひろげた跡が歴然たるものです。十間も行くと四ン這いになるところがあるが、そこをくぐって廊下のようなところを這い登るとだんだん広くなって、相当の大広間になり、そのマン中あたりにナワのような太さの水流が落ちているところがあって、自然に石像のように変形した濡れ石ができていた。その広間も人工でひろげたものです。水気はわりに少く、天井の石をくずしてひろげたからツララもなく、水のたれるところに大きくても一寸四方ぐらいのカブトのようなのが出来てるだけです。相当の人数がひそみ隠れていられるでしょう。
 両面スクナはその形がシャム兄弟(一卵性双生児の背中がくッついて一体となったもの)のようですが、神話にはあらゆる畸形の怪物が現れますから、それらの何かは現実の畸形児に当然似ますけれども、もともと神話はツクリゴトで、そッくり現実的に解すのはなるべく避けるのが自然でしょう。
 私は千光寺の両面スクナ堂でこの像を見ましたが、背中合せに同じ一体の人間が一体になっております。前後両面全く同じです。そしてその頭は神功皇后のカミのような男装の女だか、女装の男だか分らんようなふくよかな美貌でしたよ。書紀によると「力が強く、早業で、四本の手で二ツの弓を同時に射た」とありますが、このスクナの像は弓を持たずに、斧をもっております。そして、他のヒダのスクナ像も必ず斧を持ってる由です。
 両面という意味は山上に住んで両側の二国を支配した意と解すのが郷土史家の定説の由ですが、穂高か乗鞍か、または立山から御岳を結ぶ尾根全体を神の住居として両側の美濃(ヒダは大昔はミノと一ツの国でした)と信濃の両国を否、両側の日本全てを支配していたと、見るのは当を失したものではありません。
 しかし、一体二面をシャム兄弟と見るのはコジツケすぎるが、ただの双生児かも知れないと想像することはできます。そして古代史に現れる双生児の中で一番有名なのは大碓小碓のミコト。その弟、小碓の方は日本武尊のことです。そして、このミコトが東征の時、天皇がセンベツに斧を与えたのは有名な話。しかし、これをオノ、マサカリと支那の字義通りによんではならぬ、単にセンベツのミシルシと読み解するようにと後世の学者は妙な読み方をでッちあげていますが、斧は当然斧でしょう。
 書紀はそうでもありませんが、古事記によると、このミコトの運命
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