ような振舞いのなかったことに好感をもったのが理由の一ツであるかも知れない。
私はこの憲兵の取調べをうけたのをよく記憶しており、それが地図を見ていたせいであることもよく記憶しておりながら、それが手製の地図であったことを忘れていたために、今に至るまで私の書庫には一枚の長崎地図もないことに気づかなかったのである。
そのときの長崎旅行は島原天草の一揆の史料をあつめ、実地を見て歩くためであったが、空想癖の旺盛な私であるから、全然ムダなことに精を入れるのは、今も昔も変りがない。実に私が切支丹史の人物中で最大の興味をもっていたのは「金鍔次兵衛」という怪人物で、私が十年前の長崎旅行の後にまず第一に書いたのは彼の行蹟についてであった。
古来から切支丹|伴天連《バテレン》の妖術という。伴天連はパードレ、神父の意。新教の牧師に当る。彼らは布教の始めに当って、客寄せというような意味で手品などもやったようだ。新教では奇蹟を説かないが、旧教では神の奇蹟を認めるから、その方便に手品を用いるようなこともあったらしい。それでバテレンの妖術ということは、はじめから言われていたもののようであり、また、当時の日本の習慣
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