春雨の間の隣室は支那風の部屋で、ここはオイランのセッカン用の部屋の由、昔は牢屋のような格子がはまっていたものらしく名所旧跡的な曰くインネンよりも、怪談怨霊的曰くインネンの方がはるかに多種多様に部屋々々に伝わっていたものらしいようであった。どうしても楼主の命にしたがわず、身をうらずに、セッカンされて悶死したような娘がここには相当多かったものらしいね。これも長崎的なのかも知れないな。
 実際、長崎というところは、開港場であって、それに相応した開放的な気風もたしかにあるにはあるのだが、そのアベコベの鎖国的、閉鎖的な気風が少からずありますな。そして、長崎の女は、他の九州の女のように武士道的に、葉隠れ的に、また切支丹的に身を守らずに、かなり自由な自分の感情だけで身を守っているようなオモムキがありますよ。そして彼女のかなり自由に選択された自分の感情というものが、開港場的に開放的に現れずに、むしろ保守的に、閉鎖的に、不自由にと、自ら選ぶようなオモムキになるようですね。
 しかし、とにかく、長崎には、非常に独特な都市の感情がありますね。それはたしかに他の都市の感情よりも悪いものではありません。その感情
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