は実に古風で保守的であるが、因習的にそうなのではなくて、かなり自由奔放な魂や感情が、自分一個の立場で、古風なもの、保守的なものを選んで愛しているような、やっぱり開港場的な、古風で保守的ながらコスモポリタンでもあるという各人めいめいの生き生きとした自由な魂もあるのですね。
「長崎にはパンパンはいません」
という。それを改めて思いだすと、古風で、自由で、可憐な長崎が、かなりよく分るではありませんか。パンパンはいないけれども、およそ旅人に窮屈を感じさせる街ではないのです。そして、甚しく古風であっても、決して恋のない街ではないのですよ。あるいは昔から、この港町にだけは、恋があったのかも知れないな。いつまでも、古風で、かなり明るくて、かなり自由奔放で、なつかしい港であるに相違ないね。概ねかたよったところが少く、そのなつかしさをかなり信用して愛するに足るものがあろう。
しかし、この街の胃袋だけは――しかし、痛快でもあるなア。一日三合の配給に神を売らざるを得なかった胃袋というものは、考えれば考えるほど、決して人の心を暗くさせるものではないなア。
要するに、胃袋の欲する量を欠かしてはならないとい
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