ておいた筈だから、と安心しきって、今度の旅行にでかけた。十年前にゆっくり滞在した長崎だ。新しく見聞する必要があるのは原子バクダンの跡だけだ。私はそう考えて、長崎の古本屋で若干の本を買ったりしたが、一番平凡な探し物を忘れていたのだ。
私は家へ戻って長崎の地図を探した。島原も天草も五島も、参謀本部の五万分の一、二十万分の一、みんな揃っているが、長崎だけがないのだ。ない筈ですよ。私はようやく思いだした。長崎は要塞地帯だもの、五万分の一が手にはいらぬのは当然だったばかりでなく、通俗な市街図すら、当時は手に入れることができなかった。私は長崎の人に手製の地図を書いてもらって、それをタヨリに歩いていたが、諏訪神社のベンチに腰を下して長崎港を眼下に眺めつつその手製の地図を見ているときに憲兵につかまって訊問されたことがあった。そのことは覚えていたが、時勢の変った悲しさに、それが手製の地図だったのをすっかり忘れていたのであった。
あのときは驚きましたよ。何事に驚いたかというと、その時まで海軍の憲兵というものを知らなかったから、セーラー服にツバのない水兵帽をかぶって、古風なキャハンをはいた坊やのふくらん
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