けてある物をしらべると多量のキャベツやキノコや肉などを原料に支那と日本の中間的なウマニに煮たものである。その下には日本のウドンと支那のウドンのアイノコのようなものが全部を占めていて、カナダライに水をナミナミと満した場合にはカナダライの内部が直接空気にふれる空隙というものはなくなるのであるが、日本のウドンと支那のウドンのアイノコの場合に於てはその空隙がないのみでなく更にカナダライの高さと同じぐらいのものが上へ盛りあげられており、更にその上にキャベツ一個分はないけれども一個の半分以下ではないらしいキャベツとキノコと肉などが積みあげられているのである。
キャベツとキノコと肉の山がウマニでなくて、また、日本と支那のアイノコのウドンに日本と支那のアイノコの汁がかけてなくて、つまり、単なるキャベツとキノコと肉とアイノコのウドンだけである場合には、私はこれを牛か豚の食糧と判断して、ハテナ、長崎の食堂の女の子にはオレが牛か豚に見えるとは思われないが、しかし彼の女の神経や視覚はかの八月九日の放射能によって――私はいろいろハンモンしたかも知れないね。
しかしこれはウマニであるしアイノコ的なウドンに相違
前へ
次へ
全45ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング