存在しとらんですぞ。長崎気質というものは実に古風なもので、開港場にふさわしい進歩的なものは殆ど見られないですよ。
 そこで長崎の人間は古風で温和で気が弱くて実にお蝶さんのように可憐であるかというと、否、否、否。長崎の彼や彼女をあまく見ると、ひどい目にあうよ。実に長崎の彼や彼女というものは、実に、実に、また実に、おどろくべき大食人種だね。お蝶夫人がシッポクやチャンポンを食うところはオペラには出ないかも知れんが、チャンポン食堂の場というようなのがあってごらん。彼女が長崎の女である限りは、お蝶さんが肺病と脚気と弁膜症を併発して瀕死の病床にあっても、それは実に、驚くべき大食らいにきまっておりますよ。
 長崎の街を散歩して、ちょッと手軽にヒルメシを食いたいな、お八ツ代りに何かちょッと腹に詰めておきたいな、というような際に、長崎ならばチャンポン屋というものがあって、そういう時にはこれに限るというようになんとなく市民のお腹《ナカ》が生れながらにそう考えているようだ。
 そこで私もチャンポン屋へはいる。陶器製のカナダライに相違ない平鉢の中へ、高句麗の古墳の模型をつくって少女が運んでくる。古墳の上側にか
前へ 次へ
全45ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング