私はどうしてだか、大浦の天主堂のあの日本人の神父さんを今でもアリアリと覚えていますよ。身長も高いが、ふとってもいましたね。黒い僧服をきて、僧院の階段を走り降りて現れてきましたね。そのときだけは元気で無邪気でしたのに。大浦の天主堂は原子バクダンの被害をそう蒙らず、今は改装の手入れ中でしたが、彼が今もこの僧院にいるなら、否、どこの僧院で、どこの路上で彼に再会しても、私はただちに彼を確認できます。長い顔でしたが頬の肉が豊かで、たるんでいるような坊やじみた顔で、たしか鉄ブチの眼鏡をかけていたと思います。
 私は今回、長崎へ行き、浦上の原子バクダンのバクハツ中心地から、浦上の天主堂の廃墟へと登りました。天主堂の丘は庄屋の屋敷跡だそうですね。この庄屋は浦上切支丹の召捕や吟味には先に立って手伝い、踏絵をやらせ、流罪を申渡したりしたのもこの丘の上の庄屋の屋敷でやったことだそうですね。
 浦上切支丹はその悲しみの丘を買いとって天主堂をたて、彼らの聖地としたのでしたが、それがさらに天地の終りとも見まごうような悲しみの丘に還ろうとは。
 爆心地の記念館には、昭和二十四年度訂正として、
[#ここから1字
前へ 次へ
全45ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング