んで居なくて、西洋の空の下に居り、つまり彼らは精神的な異人だというような白眼視であった。私に「クロ」という呼称の存在を教えてくれた長崎市民の一人は、明らかにそう考えていたようだし、浦上の人家や山河には、その異人視を百倍も強く感受してオドオドと孤絶しているような住民たちの悲しさが至るところに沁みついているように感じられたのである。
 私はまた他の一日、大浦の天主堂を訪ねて行った。それは長崎の図書館長が、島原の乱について教会側の記録をまとめたパンフレットが大浦の天主堂からでていますから、それをもとめなさい、と教えてくれたからである。
 ところが応待に現れた日本人の神父さんは顔色を失うぐらいに狼狽して、そんなものは出版したことがありません、そう云いながらソワソワと足もとが定まらないような様子にさえ見えた。
「私は図書館で実物を見てるんです。近年でたばかりで、定価五銭と印刷してあったかしら。非売品となってましたかしら」
 彼は泣きそうになって、
「二十年ぐらい前に、そんなものが出たようなことがあったかも知れませんが、イエ、そういうものには、全然心当りがありません」
「ぼくは怪しい者ではありませ
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