ちゃらかして、九州諸方の隠れ切支丹を嗅ぎ当てては、信教復活の遊説に、頼まれもせず手弁当で巡回して歩くような、悪く云えば宗教タンデキ家的な世話好きが続々現れたようだ。復活切支丹の先覚たる光栄に酔っぱらったとでもいうのか、山野を忍び歩き人目を怖れ怯えつつ、よその村のイロリ端で神の教えを一席ぶって宗論をたたかわせ説服するのがイヤ面白くてたまらん、というゾッコン打ちこんだ楽しそうな様子がアリアリ見えるようだね。浦上切支丹史でもよんでごらんなさい。アリアリ見えますよ。その後この村からは神父になって説教を本職にする人がたくさん現れた由だが、復活後のソモソモの気風がそうだから当り前の話さ。
 そこで諸村の隠れ切支丹がみんな改めて洗礼をうけて正式のカトリック教徒に復活したかというと、そうではないから、おもしろい。
 新しい切支丹のお祭の方法はオラガ村の祖先伝来のやり方と違う。オラガ村の方のが正統派で、新しいやり方に改めた者はインチキだ。祖先伝来の正統な教えを忠実にまもっているのはこのオラガ村だぞ、と云って、威張り返って、今日に至っても、てんでローマ法王のカトリックを相手にしない部落がタクサンある。それ
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