ったのは、それもやっぱり異境にさまよう妖しさが胸底にあったせいであろう。
 日本に切支丹の子孫がいる。それは表面仏教徒を装いながら祖先伝来の切支丹の信教をつづけているはずだ、ということは、外国の宣教師が概ね予想していたことである。新井白石が政治をやってる時に潜入したヨワン・シローテもそういう子孫の実在を信じてのことであった。元治二年(一八六五年)に大浦天主堂が落成した。これは在留の外国人のためのもので、日本人に伝道しては相成らんという約束のものであったが、外人神父の肚の中では、切支丹の子孫がどこかに隠れているはず、いつかはそれを突きとめたい、名乗りでてくれないか、というひそかな願いが第一であった。
 すると浦上の村民が十五人ばかり天主堂の見物のフリをしてやってきて、他の見物人の去った時を見すまして、プチジャン神父にちかづき、私たちはあなた様と同じ心であります、と云って名乗りでた。それが一八六五年三月十七日であったという。これが隠れ切支丹復活の日だ。その時以来、浦上切支丹の多くは信教の復活に酔っぱらったとでも云うべきか、実に非常に亢奮したもののようだね。彼らの中の相当数の人々は農耕もうっ
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