山田の戦災はきわめて小部分にすぎないが、その小さな焼跡は全然と云ってよいほど復興していなかった。それは敗戦後の数年間、復興に必要な条件たる神宮の参拝客を失っていたせいであろう。
浦上の方は所在の戦災工場が殆ど戦争用のものであるために復活せず、その工場人員の居住を要しなくなったせいもあろうが、土着の浦上町民の大多数が死亡したせいもあろう。土着民の多くは先祖伝来の切支丹で、昭和二十年に一万余名という浦上切支丹のうち、原子バクダンの一閃と共にその八千五百名を失った由。土着民の大部分を失ったのだから、復興がおそく、人家と人家の間や周辺に非常に多くの空地が目立ち、旅人の心を暗くさせる。
私一人の特殊な感傷であるかも知れないが、私は浦上の運命については感慨なきを得ないのである。
浦上は原子バクダンによって世界的な名所となったが、こういう異常な犠牲となる以前から、浦上は日本に於ける最も特殊な村落の一ツであった。私の十年前の旅行に於ても、浦上訪問は私の大きな関心事で、その土をふみ、農家の前に立つだけでも、なんとなく異様な思いが胸にさわぐのを押えることができないような気持であった。
九州には隠れ
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