彼のひそむ穴が分ったのは密告によるもので、時をうつさず大包囲網をしき、彼はこの穴ボコで縛についたもののようです。
彼の刑死した年に、長崎では、アウグスチノ会員のイルマンたちやおびただしい信徒が捕縛されているところを見ると、大先生とともに、彼の支配下の組織全部がやられたように思われます。私は金鍔神父の捕われた穴ボコの中にたち、海を見下して、感無量でしたよ。それは悲劇的ではなくて、牧歌的――いわば、彼だけは切支丹史上に異例な、切支丹西部劇というようなスガスガしくて無邪気で明るい牧歌的なものを私は考える。この穴ボコから長崎の港そのものは見えないが、それにつづく静かな海が見え、その海にひらけた谷間はきりたった断崖と緑におおわれていたであろう。朝夕も白昼も静かだったろうね。
この谷に今では長崎の教会のカリヨンが海をわたってきこえてくるが、彼はこの風光やカリヨンの幻聴などが問題ではない充実した動物だったろう。野生のカモシカのような。
なつかしい一匹のカモシカ神父よ。
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私が自分の目で見た戦災地のうちで、一番復興がはかどらないのは、宇治山田市。次が浦上であった。宇治
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