りましたが、昔はこの下方が断崖ではないにしても、やや登るのが不可能にちかい地形であったように思われるのですね。この下を金鍔谷と云って、その谷に今は道があり人家がありますが、当時は海に面した嶮しい谷で、その谷には人が踏み入ることがない秘境であったのかも知れない。この辺一帯は、今でも「金鍔」と土地の人々は申しています。ただし、次兵衛のことは、もう土地の人々は知らない人が多いようです。穴の中には地蔵が十七体ほどあって、土地の人は穴地蔵とか、穴弘法とか云ってます。浦上にも穴弘法というのがありますが、それとは違うのです。穴の中にサイセン箱があったので、私は二十円のオサイセンをあげてきました。
 一説では、彼トマス金鍔バテレンは天草島原の乱に参加し妖術を用いて幕府軍を悩ましたとありますが、彼は一揆の起る直前、一六三七年、太陽暦の十二月六日に、穴吊しという方法で死刑にされて死んでいます。私の希望的空想的執念にも拘らず、残念ながら、彼は島原の乱には参加不能。もっとも、その地の信徒と生前にレンラクがあったことは考えられる。けれども捕えられたのが六月十五日だそうで、島原の乱には全然関係がなかったでしょう。
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