に出動し、これに海軍も加わっていますよ。以下、大村藩の記録を意訳してみましょう。実に残念なのは、私の手もとに浦上の地図がないことで、地図がないと、この三師団と海軍の包囲網がハッキリ分りにくいのですがね。
寛永十二年(であろう。他の次兵衛追跡に関する記録の年月日からみて、そう見るのが正しいようだ。西暦一六三五年)八月、次兵衛が浦上に隠れていると密告する者があって、長崎奉行は四辺の諸藩とレンラクして捜査中、大村領戸根村脇崎の塩焼き(俗に釜司という由)が彼を山中にかくまっているという情報がはいった。そこで長崎の両奉行から城主に出動の命令があった。
大村藩では、家老大村彦右衛門を大将に、家士の全員、諸村の代官所属の全員、小給、足軽、長柄の者は言うまでもなく、領内の土民に至るまで、武士も土民も十六歳から六十歳までの男を全部召集。よろしいですか。十六から六十までの領内の男の子の全員ですよ。そして残したのは、城内の番人と、諸町村の押えの者だけです。かくの如くに一藩の全員が出動しました。相手は金鍔次兵衛たった一人なんですがね。
むろん、総指揮に当る長崎の両奉行所も全員出動。さらに、佐賀、平戸、島
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