ところで、したがって、どんな家でも百年以上の歴史があって、小さな長屋の如きものでもそうであるから、内部へはいると何べんも何べんも修繕してツギハギのあとがあって、どの家の柱も板も真ッ黒だね。また、したがって、多くの道路が細い。そして、各々の家の住人たちも大がい何代も前から同じ一族が住みついて変ることが少いそうで、ハイカラの町だと思うと、どう致しまして、まことに市街も家も人間も古風ですよ。
「長崎にはパンパンが居ないんです」
 宿屋の女中も料理屋の女中も云い合したようにこう云って自慢するのであった。なるほど、旅行先でこういう自慢をきいたのは長崎がはじめてでしたな。しかし、私は長崎駅へ到着したとき、待合室で数名のパンパンをたしかに見ましたよ、と云うと、
「それは佐世保から来るんです。長崎には居りません」
 断々乎たる御自信であった。しかし、このパンパンなる言葉の解釈が長崎的で面白いのですよ。彼女らが断々乎としてその存在を否定しているのは、つまり街娼ということですね。
 音に名高い丸山は昔から今に盛大に営業していらせられますよ。思案橋だの、見返りの柳だのと、若干怪しからぬ的々な鉱物植物が原子バクダンにやられもせずに厳としてありますな。公娼というものは今はない筈のタテマエであるから、今の丸山のお蝶さん方は糸川がパンパンならば同じように丸山のパンパンと云うべきであるらしいが、否々々。断々乎として何百万遍も否である。長崎に於ては断乎としてパンパンは居りませんぞ。これが長崎のよいところですな。長崎の丸山は、常に永遠に絶対に長崎の丸山であって、他のいかなるものでもないですぞ。パンパンではないかと。かのお蝶さんをパンパンであると云うたことが誰一人もなかった如くに、丸山の現今のお蝶さん方がパンパンであると云う人は在りうべからざることですぞ。
 そういうワケで長崎にはパンパンが絶対に居ないのである。こういうところは実に長崎的々ですよ。黒船時代に於ける開港場長崎の丸山の女性が、今日の世態風俗に照り合して元公爵夫人に似ているか、映画女優に似ているか、女事務員に似ているか、婦人警官に似ているか、女学生に似ているか、と云えば、そのどれよりもパンパンに似ているらしく思われるが、そんな思弁は長崎では通用しないね。丸山は現代の物ではないですわ。よってパンパンではないです。長崎には怪しき新製品の如きものは存在しとらんですぞ。長崎気質というものは実に古風なもので、開港場にふさわしい進歩的なものは殆ど見られないですよ。
 そこで長崎の人間は古風で温和で気が弱くて実にお蝶さんのように可憐であるかというと、否、否、否。長崎の彼や彼女をあまく見ると、ひどい目にあうよ。実に長崎の彼や彼女というものは、実に、実に、また実に、おどろくべき大食人種だね。お蝶夫人がシッポクやチャンポンを食うところはオペラには出ないかも知れんが、チャンポン食堂の場というようなのがあってごらん。彼女が長崎の女である限りは、お蝶さんが肺病と脚気と弁膜症を併発して瀕死の病床にあっても、それは実に、驚くべき大食らいにきまっておりますよ。
 長崎の街を散歩して、ちょッと手軽にヒルメシを食いたいな、お八ツ代りに何かちょッと腹に詰めておきたいな、というような際に、長崎ならばチャンポン屋というものがあって、そういう時にはこれに限るというようになんとなく市民のお腹《ナカ》が生れながらにそう考えているようだ。
 そこで私もチャンポン屋へはいる。陶器製のカナダライに相違ない平鉢の中へ、高句麗の古墳の模型をつくって少女が運んでくる。古墳の上側にかけてある物をしらべると多量のキャベツやキノコや肉などを原料に支那と日本の中間的なウマニに煮たものである。その下には日本のウドンと支那のウドンのアイノコのようなものが全部を占めていて、カナダライに水をナミナミと満した場合にはカナダライの内部が直接空気にふれる空隙というものはなくなるのであるが、日本のウドンと支那のウドンのアイノコの場合に於てはその空隙がないのみでなく更にカナダライの高さと同じぐらいのものが上へ盛りあげられており、更にその上にキャベツ一個分はないけれども一個の半分以下ではないらしいキャベツとキノコと肉などが積みあげられているのである。
 キャベツとキノコと肉の山がウマニでなくて、また、日本と支那のアイノコのウドンに日本と支那のアイノコの汁がかけてなくて、つまり、単なるキャベツとキノコと肉とアイノコのウドンだけである場合には、私はこれを牛か豚の食糧と判断して、ハテナ、長崎の食堂の女の子にはオレが牛か豚に見えるとは思われないが、しかし彼の女の神経や視覚はかの八月九日の放射能によって――私はいろいろハンモンしたかも知れないね。
 しかしこれはウマニであるしアイノコ的なウドンに相違
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング