ないから、どうしても人間のために作られたものに相違ないが、案ずるに長崎チャンポンの法則として一度に一日ぶんのチャンポンを買って三度の食事ごとにここへ通ってきて三度目に食いあげる、なるほど大陸に近いだけのことはあるな、と考える。
 しかし、その時、おどろくべきものを見たなア。学校帰りの十四五ぐらいの女学生三人組と、母親らしき女と十一二の男の子の一組が、ちょッとお八ツ代りにチャンポンを食いに来たらしき様子であったが、五六ぺん笑い声をたててお喋りしているうちに、みるみる古墳の山をくずして、三食分のチャンポンを一キレのカステラのようにやすやすと平らげてそこにカラのカナダライがなければまだ完璧に何も食べていないような顔でしたなア。実に私は目を疑ったね。おどろくべき女学生がいる。おそるべきオカミサンとその子供がいる。かかる子供やオカミサンの胃袋に満足を与えるために、その父親や宿六は他の父親や宿六の何層倍の汗水を流さねばならぬか。さらに涙をも流さねばならぬであろうよ。シミジミ怖ろしき者どもであるな。
 ところがチャンポン屋に回を重ねて通ううちに、長崎の老若男女というものは実に一人のこらず同じような特別の胃袋の持主で、そこに例外は決してないということが、たちまち明白になりましたね。マダム・バタフライの楚々たる外形にだまされてはいけませんぞ。長崎の胃袋こそは警戒しなければならん。かのお蝶さんはピンカートンに恋いこがれて涙のかわくヒマがなくとも、五六ぺん泣きじゃくるうちに古墳の山をくずして東京の男の三食分をペロリと平らげて、まだ前夜から何も食べていないような悲しい顔でむせび泣いているにきまっているね。
 私はこの戦争中に、当時出版されたばかりの「浦上切支丹史」を読んで、呆気にとられたことがあったのである。第四回目の浦上崩れで、浦上切支丹の全員三千余名が諸藩へ分散入牢せしめられて、拷問に責められ棄教をせまられた。ところが相当に気も強く、信仰も堅くて、寒ザラシだの、生爪の中へクギを差しこむような拷問には我慢したツワモノが、食べ物の量が少いというので我慢ができず、意外にも役人の方ではそれを意識してやったことではないのに、自らすすんで棄教を申しでる者が続出するのだね。その我慢のできない少量の食べ物というのが、驚くべし、実に一日当り三合ではないか。その三合の食べ物で棄教させる作戦ではないのだから、チャンと一日三合、けっして量をごまかして減らすようなことはしていなかったのですよ。
 特に津和野藩へ預けられた二十八名は選り抜きの信者でテコでも棄教の見込みのない筈の連中だったが、これすらも一日三合に苦もなく降参して拷問にも至らず棄教する者続出ですよ。
 私がこの本を読んでいたのは終戦にちかいころの、一日一合七勺、それが十日、三十日という遅配欠配の最中ですよ。実に異様でしたね。どうにもワケが分らんですよ。一日三合、それも白米であるという。それに降参してたくまずして棄教せしめるに至ったという。生ヅメの間へクギを差しこまれたり、雪の降るのにハダカで一夜坐らされても棄教しなかったという勇ましきツワモノたちがなんて哀れにも変テコな降参ぶりをしたものであろうか。まるで、戦争中の日本人は浦上切支丹の最悪の拷問以上の大拷問に平然と堪え忍んでいるようなものではないか。どうも、オレの方が浦上切支丹よりも我慢強いような気がしないが、変テコな話があるものだ。しかし、実にワガハイが一日三合の白米どころか、一合七勺のその十日三十日の遅配欠配にさしたる顔もせず、自分一人アメリカ向けに白旗をふって降参しようなどゝ考えたこともありやしない。すると、オレはそんな偉い人物なのかな。しかし、どうも、一日に白米三合も食べていながら、腹が減って、腹が減って、どうしても神様を売らずにいられん、という妙な切支丹があるもんだとは、不可解であるな。まったく私は当時この奇怪きわまる史実に甚しくハンモンしたものでありましたよ。
 しかし、私はこのたび長崎に至り、チャンポン屋へはいって長崎の彼や彼女の例外なき胃袋に接し、十年前に見たそれらの胃袋の怖るべき実績をアリアリと思いだし、
「ユウレカ!
 ユウレカ!
 ユウレカ!」
 浦上も長崎のウチなんだ。あるいは長崎以上の胃袋かも知れないのだ。ワカッタ! オレが一合七勺の遅配欠配に我慢ができても、長崎の胃袋は三合ズツの完全配給に音をあげるのは当り前だ。
 実に歴史というものは、むつかしいものだなア。浦上切支丹が一日三合の配給になぜ神を売ったか。それは私が長崎浦上に単に旅行しただけでは分らない。実に長崎でチャンポンを食べてみなければ全然理解しがたい謎中の謎であったのである。
 長崎のチャンポン屋へ行ってみないと、浦上切支丹の棄教の秘密が分らんということを、拙者のほかの誰が見破
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